海外赴任帯同のマニュアル本(無料プレゼント中)

サチ先生|ハワイ在住|オンライン

サチ先生|ハワイ在住|オンライン

サチ先生

海外帯同先では英語での会話が必要となりますので、行かれた時に会話で使われるであろう英語のフレーズを事前に学習、会話練習をすることで、英語での生活がずいぶん楽になると思います。
私自身、アメリカ生活が全くわからないところからのスタートだったので、生徒様の不安がすごくわかります。

また、お子様のいらっしゃるご家族様は、帯同中のお子様の英語学習と同時に日本語学習も不安に思うかもしれません。
私の息子たちはアメリカで育つバイリンガルですが、その課程において様々な試行錯誤・工夫を取り入れてきました。
ご家族様の英語のレッスン以外にも、お子様の日本語学習に関してのご相談にのることもできます。

生徒様の海外生活が実りあるものとなるようにお手伝いできたら、幸いです。

担当エリア

オンライン

海外経験

アメリカ(カリフォルニア州サンディエゴ):4週間(ホームスティ)
カナダ(トロント):4週間(語学学校)
アメリカ(ケンタッキー州)2年
アメリカ(インディアナ州)1年
アメリカ(テネシー州)1年
アメリカ(インディアナ州)3年
アメリカ(ハワイ州ホノルル)2014年~現在(移住)

好きなこと・趣味・英語以外に精通していること

美術、アート

講師をはじめたきっかけについてお聞かせください

2007年に渡米する以前は高校で美術、小学校で図工を教えていました。
2008年にアメリカで長男出産、2011年に次男出産と、子育てはアメリカで始めました。

私は息子たちに日本語が読めて、書けて、話せるきちんとした日本語を使えるバイリンガルになって欲しいので、日本語教育を大事にしています。

彼らが生まれてから私は一度も英語で話しかけたことはないですし、彼らも私に英語で話しかけてくることはありません。

毎日英語でも日本語でも、一生懸命それぞれの教科の勉強に取り組んでいます。
二ヶ国語(長男に至っては学校で三ヶ国語目を勉強中)を当たり前に頑張っている彼らを見て、私も何か頑張らなくてはと思うようになりました。

私にできることで、誰かの役に立てることはないだろか、と考えた時に、私がアメリカで経験してきたことをこれから経験するであろう人に伝えられないかと思い、講師を始めました。

レッスンで心がけていることはありますか?

私自身アメリカに来る前も、来た頃も言葉の違いや文化の違いにとても不安がありました。
きっと駐在帯同英語レッスンを受けられるご家族様も同じ気持ちではないかとお察しします。

生徒様がどんなことに不安を抱えているかお話をお聞きし、それらが少しでも軽減できるように、私の経験からの情報を共有したり、アメリカで使われている自然な英語のフレーズをお教えしたりしてお手伝いができたら、と思っています。

その日のレッスンで習ったことは最後に確認、家でも復習して頂き、次のレッスンの始めには必ず再度確認し定着につなげます。
宿題も事前に添削したものをレッスン内で一緒に復習します。
満足のいくレッスンを受けて頂くために、英語でも、日本語でも話しやすい雰囲気を作りたいですね。

先生の海外生活経験の中で、一番大変だったエピソードは?そのときの対処法は?

丁度私の調子も悪い頃でした。
次男が2歳の頃seizure (てんかん発作)で泡を吹いて白目になって、ガタガタ身体を震わせて倒れたことです。
てんかん発作を見るのは初めてだったので、何が何だか分からず、それが痙攣というものだと知ったのは後からでした。

まだ5歳くらいだった長男(あまり英語も話せなかった)にお願いして、仲良くしてもらっていたお隣のご家族に助けを求めました。
救急車を呼んでくれ、私が次男の病院に付き添っている間長男を預かってくれ、病院に長くいたのですが、終わったらわざわざ迎えに来てくれました。

精神的にもしんどい時期だったため、次男のてんかんは私から引き起こされていたのではないかと、その頃を振り返って思ったりもします。
その辛い時期に私が倒れずにすんだのは、お隣のご家族をはじめとして、話を聞いてくれた友だちの存在が大きいです。
しんどい時は溜め込まず吐き出すこと、いつも自分に正直に、直感を信じて進むこと、無理はしない。
そして、支えてくれる家族やお友だち、ご縁のある人たちに感謝をすること、それが私の根本にあります。

お子さん関連のことで苦労したことと、それが円滑にいくために工夫したことはどのようなことですか?

私の息子たちは生まれてからずっとアレルギーがあるので、小麦、乳製品、卵、魚介類、ピーナッツなどが含まれる食品を避けています。

基本的にアメリカ本土での外食は難しいので、どこへ行くのも食べ物、エピペン(アナフィラキシーショックになった時に使う携帯用薬)は持参し、長期旅行はまず無理でした。

幼稚園、小学校が始まると、年度初めにその学校管轄の看護師さんから電話がかかってきて、一年間の緊急対策を話し合います。
緊急時に使えるように保健室でエピペンを管理してもらい、学校生活を送っています。

食物アレルギーは目に見える病気ではないですが、その度合いによっては死に至る怖いものです。
そのため、息子たちには、いつも原材料に何が入っているのか確認するように、また、誰が作ったかわからないものは食べないように教えてきました。

また、毎年変わる担任の先生に、アレルギーのことを説明してランチ時間は、Homelunch tabel (お弁当持ちの子達が一緒に座るテーブル)にしてもらったり、クラスの子が誕生日にスナックなどを持ってくる子がいるなら前もって教えて下さい、息子達が食べれるスナックを用意します、といったように先生と連絡をきちんと取り、配慮してもらうようにしました。

海外生活を送る妻として、母として経験した、一番嬉しかったエピソードは何ですか?

息子たちは土曜日に日本語補習校に通っています。
そこでは一年に一回漢字検定を任意で受けることができ、小学校一年生の10級から毎年受け続けています。
(コロナで一年だけ受けることができませんでした)

将来もし日本で生活したいと思っても、漢字が読めて、書けないことには選択肢は狭まります。
そこで、私は彼らが一年生の時から漢字のプリント(特に音読み熟語)を自分で作り、毎日繰り返し練習させることにしました。
漢字検定の勉強も、試験対策問題集をやり一緒に頑張っています。

正直言って、しんどい時もめんどくさい時もあります。
が、途中でやめることはできず、まだまだ続けています。

その結果、長男は五年生の時念願の200点満点、次男は四年生で192点でした。

息子たちは、「ママの鬼のような漢字プリントのおかげで、ここまで出来るようになった。」と言って、笑っています。
私も頑張ってよかったなぁと思え、心に残る一言になりましたね。

日常生活で漢字を使うこともないのに、本当に頑張っていると思います。
今では、その私のプリントは『無限漢字プリント』と命名され、それをこなさないことには、漢字検定の勉強には移れないそうです。

漢字を自分のものにしていく彼らと私も一緒に頑張ることで、将来に役に立つものを伝えられていることはとても意味があり、幸せなことだと思っています。
漢検1級を目指すと言っている息子たち、まだまだ私も自分の勉強にもなるし、彼らと一緒に頑張ります。