- 担当エリア
- 海外経験
アメリカ ペンシルヴァニア州:1年(留学)/インド ニューデリー:2年(帯同)/タイ バンコク:4年(帯同)
先生の海外駐在帯同生活経験の中で、一番大変だったエピソードは?そのときの対処法は?
インドで水が出ない、停電する、というインフラの不安定さは日常でした。
それでもインドでは英語も通じる人が多いし、不当だと思うことにこちらが怒っても大丈夫でした。
ただ、タイではそうはいきません。
インドほどのインフラの不備はないものの、駐在員が住むような高級アパートであってもやはり不具合がしょっちゅう生じます。
エアコンがおかしい、窓が閉まらない、など。
そんな時、相手がきちんと対応してくれなくてこちらが怒りたい時も、タイの方の国民性を考えると強く言うことも望ましくないので、いつ対応してくれるかわからない中、ひたすら耐えるしかありませんでした。
また、言葉も英語圏ではないのでかなりシンプルな英語で話さねば通じませんでした。
言葉そのものもですし、何よりそうした文化の違いに配慮すること、慣れるまではそこが一番難しかったです。
お子さん関連のことで苦労したことと、それが円滑にいくために工夫したことはどのようなことですか?
3人の子どものうち、一番上の子はインター幼稚園育ちなので、特に問題なく入学しました。
下の2人は幼かったので、入学してしまえば2~3ヶ月でネイティブ並に英語を習得していたので、英語習得に関してはスムーズでした。
ただ、特に下の2人に関しては、日本語の維持がとても難しかったですし、帰国した今現在も、5年生の真ん中の子は苦労しています。
学校で課外活動として参加できた日本語のクラスには通っていました。
漢字や諺、また先生とのお話の仕方など、学ぶことは多かったです。
海外駐在に帯同した妻として、母として経験した、一番嬉しかったエピソードは何ですか?
一番下の子は1歳半からタイに住み、あちらで幼稚園に通い、小学校生活をスタートさせたのもタイでした。
3歳くらいから少しこだわりの強さなど気にかかる点がありましたが、規模の小さい幼稚園で先生方の手も足りていたので伸び伸びと過ごしていました。
担任の先生方(アメリカ人、イギリス人)とも相性が良く、確かに変わっているけどかわいい子よ、と言ってもらっていました。
でも、明らかにケアが必要だと思ったので、上の子達が通う学校が大型のインターでインクルーシブ教育を売りにしているのでそこに決めました。
入学するタイミングで相談してみると、やはり今までの頑固エピソードを聞いてプロの先生たちも「この子にはサポートをフルでつけましょう」と
言ってくださいました。
医師の診断では能力の凸凹はあれど、それ以上の診断はつきませんでした。
それでも、感情のコントロールや、やりたいこととやらなければならないことの区別など、彼が社会生活で必要とするスキルを学校でみっちり教えてくださいました。
たった5~6歳の子に、毎日毎日根気よく向き合い、学校は楽しいところだ、こうやって自分を表現していいんだ、と教えてくれたんです。
帰国して最初は日本語がおぼつかず、お友だちとのコミュニケーションに苦労していましたが、そんな時も支えになったのはその先生たちの教えでした。
自信がついた彼は、帰国してからも楽しく学校に通えています。
そんな風に自信をつけてくださったこと。とても嬉しかったし、心から感謝しています。